てんさいMAX。

スマトラ沖地震津波被害者の手記を読み、
非常事態の状況下に身を置く怖さを改めて知る。
津波被害者の手記 → http://now.ohah.net/sameera/tsunami.shtml


私も阪神淡路大震災に、偶然遭った経験がある。
偶然と書くとおかしな表現だが、私は神戸に半年しか住んでおらず、
その半年の間に未曾有の大震災に遭うというのは、偶然としかいいようがない。
大震災の事は、いまだに鮮明に覚えていると言いたいところなのだが、
鳥頭な人間なので、ぼんやりとしか覚えていない。
これ以上、忘れる事のないように、ここに書いておく。


私は王子公園のマンションに一人で住んでいた。
王子公園は、神戸の中心地三ノ宮から一駅離れた住宅地。
美術館、動物園が家の近くにあり、住みやすい所だった。
1月17日朝5時頃、寝ていた私は、ふと起きました。
何故、そんな早い時間に起きたのか。
こんな私にも震災の前兆が分かったのか。
起きて、窓から空を見ると、うす暗いというか淀んでいた。
次の瞬間、轟音。
実際、轟音が鳴っていたかどうかは分からないが、そのように感じた。
そして、激しい揺れ。絶叫する私。
人は不意に恐怖に駆られた時、叫び声は映画のように「キャー」「ウワ−」ではなく、
声にならない、文字にも表現できない獣としての本能から出る叫びを発する。
私はベッドから飛び下り、ベッドの下に隠れた。
しかし、私のベッドの下は荷物がたくさん有り、頭しか入れる事ができなかった。
これぞ、まさに「頭隠して尻隠さず」のお手本。
それよりもベッドの下に隠れるという災害時の模範的な行動をした事に驚いた。
激しい揺れは終わり、とりあえず外に出た。
私の家の周辺は激しい倒壊などなく、地震の規模が今一つ掴めない。
ふと、大阪の両親が心配になり、電話をかけた。
そうなんです、地震の直後はまだ電話が通じたのです。
「そっちは大丈夫か?」と母に聞くと、母は「わざわざ、ありがとう」と素頓狂な感激の言葉。
母は地震直後で情報も無く、神戸の惨状を知る由もないのだが、しかし素頓狂だ。
とりあえず、三ノ宮にある事務所まで自転車で出かけることにした。
そこに着くまでに目にしたものは、まさしくアキラの世界。壊れた都市。
市役所は3階部分が全てなくなり、地中の水道管は破裂し、道路から噴水のように吹き出す。
ここでふと気付いたのだが、私は恐ろしいくらい冷静だった。
人の死体がゴロゴロ転がる阿鼻叫喚な地獄絵図ではなかったのは事実。
しかし、街の様子は普通ではないのです。
普段から無感情だが、この状況下でも無感情である。自分自身が恐くなりました。
人の恐怖な体験は怖いが、自分の体験は、感覚も無く無感情。
私は悪魔かもしれません。


震災直後は、このような記憶です。
思い出しながら書いたのですが、ドラマがないですね。
なにか、ドラマがあったような気もするが、なにせ鳥頭なので思い出せません。


震災後、一番困ったのはライフラインがない事。水道、電気がないとホント辛い。
日が沈むと部屋の中が真暗になり、本も読めず何もできません。
飲水は自販機などで確保でき、不自由はなかったのですが、
下水がないと辛いです。糞尿たれても流せないのです。
さすがに、外ではしませんが、それに近い事はしたような気がします。


神戸に住んだのが3ヶ月前なので、なんたる運の無さ。
しかし、最悪の結果にはならないのが、私の悪運の強さ。
神戸にマンションを借りる時に最後まで悩み、選ばなかった方のマンションは全壊。
今、生きているのは、そちらを選ばなかったからです。
信じる神がいないので、何か別の因果なものに感謝。